特別、人からも社会からも必要とされていないのなら、
消えた方がいいのか。
そんなことを思っている。長文の愚痴です。
・しごと
求職プロフィールを作るまでは良かったが、売り込みをかけても返事すら無いのが大半。それは、NPOや企業問わず。苦難の就活生のように、何十社もアプローチをかけたわけではないが…
ブログで障害者雇用の大切さを説いていた会社の人(取締役)でさえ、返事すら無かった。それが現実だ。
就活に関しては、理系というだけで優遇されている。弟は、数社受けただけで内定をもらった。正直言って、頭の回転の良さは弟に負けてないと思う。一般常識も、まあまあある方だと思うし。
僕は別に就職を求めているわけではない。
アルバイトでいいのだ。
派遣でいいのだ。
地味な事務作業でいいのだ。
単発のものでもいいのだ。
世間が求めているのは、
・身体が動けること
・性格がいいこと
この2点だ。よく気がつく、頭がいい、そんなことは真から必要とされていない。
資格を取得するにしても、その先の在宅でのワークスタイルを想像できないと、
勉強する気にならない。
もう学生のときのような英検取得の感覚とは訳が違うのだ。
作業所を利用するにしても、結局は「お世話になる」という感覚だ。社会的コストもかかるだろう。
6000円昇給した人が愚痴ってたけど、
その分、6000円分仕事を作ってくれと言いたかった。
・ぼらんてぃあ
仕事が無ければ、ボランティアに励んでみる。しかし結局は、ここでも必要とされていない。
「支援される」一方だ。
分かる人は分かるし、分からない人には分からないと思うが、
「無償で支援を受ける」ということは、とても危険なことなのだ。
話がずれるので、詳細は別の機会があれば書くが、
よって本来なら、ボランティアする人の方が多く感謝すべきなのだ。
だから、僕はボランティアをしたい。と思っている。
ぼくうみ上映会に関しても、士気が下がるので抑えてきたが、別に僕がやらなくてもどうってことは無い。愛知県ではまた増えていた。
必要とはされていない。自分が観たいというのもあるが、
自閉症啓発なんて、あとから考えた大義名分だ。
NPOのマニュアルに沿っただけ。
もうペコペコするのにも疲れた。
いつもお世話になっております。
ありがとうございます。
助かります。
言ったことはあるけど、言われたことはあんまりない。
感謝の言葉に関しても、
心の底から言っている場合と、言っていない場合とがある。
言っている場合は、本当に言っているが、
言っていない場合は、とりあえず言っといた方がいいだろう。あとあと面倒なことにならずに済むだろうという計算の元で言っている。
そういうのは、疲れた。
・けつろん
結局、どこにも必要とされていない場合、死んだ方がいいのだろうか。という恐ろしい結論に達した。
医療にしても福祉にしても、社会的・家庭的コストがかかるばかりで、
コストがかかっているのに、何も生み出していない・必要とされるものを生み出していないということは、切られるべき存在なのでは?と思った。
もちろん、頭の中の話であって、今のところ自分で死ぬ勇気もないし、
そもそも自殺否定論者だし、一発で確実に死ぬ方法も思いつかないので、
生かされていくことになると思う。
人間、いつ死ぬか分からないという話は置いておいて。
これを読んで気分を害された方は多くいると思う。
これによって、多くの友人・知人を失うかもしれない。
が、
ごめんなさい。だとか、
すみません。だとか、
もう言わない。
大いに結構。
コメント
1. もぐ 2009年06月03日 14:19
こんにちは。はるたくん。
もぐです。
前の仕事につくまでに書類では300社、面接を130近く受けたことを思い出しました。
在宅でのワークスタイル・・・自分もいまは在宅勤務ですが、なかなか「これ」というものを切り出すのは難しい部分もありますね。
「よく気がつく」ことも仕事では必要です。
私はそう思っています。
「無償で支援を受ける」ということは、とても危険なこと」というくだり、時々そういう場面に遭遇するゆえ、共感できます・・・。
2. はるた 2009年06月05日 18:56
もぐさん、ありがとう。
すごい量の求職活動!!!
あー、僕もそれくらいがむしゃらにやらないと駄目なのかな。と思いました。
「無償で支援を受ける」
障害の有無に関わらず、危険なことだと思っています。
説明しようとすると、宗教的な部分が入ってきたりもするので、
なかなか上手く説明できません。
五木寛之氏の著書を読めば、みんな分かると思うのですが。