ある失恋の記憶

特別お題「今だから話せること

彼女と初めて接触したのは、2002年の終わり頃だったと思う。接触と書いたのは、インターネット上で知り合ったからだ。ぼくは、その年の4月に大学の通信教育部に入学した。小テスト、教授への質問、学友(同じ学生のことをそう呼んでいた)とのディスカッション、試験などのほとんどをインターネットで行うという、当時としては画期的なところだった。始まったのは2001年で、ぼくは2期生ということになる。

通信だから、ほとんどは大人の人たちで、働きながら社会福祉士の資格取得を目的としている人が大半だった。それは入学前から分かっていて、全国と言えども同い年の人に出会うことなんてないだろうと思っていた。

大学の公式サイトは勉強だけでなく、お楽しみ的なものも用意していた。趣味の掲示板だったり、バーチャルキャンパスという自分でアバターを作ってチャットするシステムもあった。

これはこれで楽しかったが、非公式に外部に自分のサイトを作り始める学友も出始めていた。自由に作れるので、それはそれで楽しい。攻略サイトさながらに科目について書いている人もいた。

ぼくも当時、ホームページ作成にはまっていたということもあり、無料のレンタルスペースでいろいろと作っていた。自前に掲示板も用意していて、そこはそこで公式にはない空気で盛り上がった。あるとき、その掲示板へ書き込みをしてきたのが、彼女だった。

ハンドルネームから女性だということは分かった。いろいろ話していくにつれて、同い年でしかも生年月日が1日違いということが分かって驚いた。こんな奇跡的な偶然。しかも女の子ということで、すっかり舞い上がってしまった。

次第に、やりとりは、公の掲示板から個人的なものへと移っていった。その頃は、Yahoo!メッセンジャーというものをよく使ってチャットをした。リアルタイムということもあり、メールよりもドキドキした。内容は覚えていないくらいたわいの無いものだったと思う。

ぼくは、実際に会いたくなった。けれども住んでいる県が違っていたので、なかなか会える環境にはなかった。彼女の祖母の家が、ぼくの県にあったり、全く縁もゆかりもないということでもなかったが……。ぼくに障害がなかったら、すぐに会いに行ったりしたんだろうなとも思った。

何回か会えるチャンスはあったが、お互いに都合が合わなかった。そして実際に会えたのは、2007年だった。ここまで縁をつなげれたというのもすごいが、その頃は出会ったときと比べるとそれほどやりとりもしていなかった。でも会えるのが嬉しくて、やはり舞い上がっていた。彼女は通常通り前年に大学を卒業していた。ぼくは、6年かける予定だったので来年卒業予定だった。

会った場所は、海の近くだった。少し話したあと、海まで二人で歩いた。その頃のぼくの電動車いすは遅くて、思いっきりレバーを前に倒しても普通の人が歩くスピードにすらならなかったように思う。ときどき停止させて手を休ませないと、きつかった。

そんな僕の様子を見て、「車いす、押そうか」と隣を歩いていた彼女は言った。しかしその優しさをぼくは、断った。

ゆっくりゆっくり、休み休み歩いて、海岸までたどり着く。そして、二人で並んで海を見ていた。もうすぐ夕方になろうとしていて、遠くには、海に浮かぶ空港が見えていた。ときおり飛行機が、離発着している。

たわいもない話をしていて突然、僕は聞かれた。「やっすんくんは、夢ってある?」今まで夢について人から聞かれたことはなかったし、大学生のぼくは、大してこれといった夢を持ち合わせていたわけではなかった。というか、すぐに答えられる夢なんてなかった。ましてや、同い年の女の子と二人で海を見ながら夢について聞かれる。というシチュエーションに、動揺していた。

何か答えなくちゃと思ったぼくは、しどろもどろになりながらも、「大学卒業したら、とりあえず仕事したい。通えないから家で」と言った。

彼女は、興味があるでもないでもない様子で、ふーんと言った。そして、自分自身の夢について語り始めた。その後、少しまた二人で散歩した。

それから数ヶ月後に、彼女を家に招いた。彼女は、リラックスしてるのか、つまらないのか(今思えば後者だったのだろう)途中、あくびをしていた。ぼくは、頭の中が真っ白になったりした。

恋に恋してたのか。本当に恋してたのかよく分からない。これで終わりかと思っていたが、それから彼女に再会するのは、7年後になる。

初めて会った年から7年が経っていた。その間にもメールはしていた。記録があったので見てみると、返ってこないときが大半だった。

でもぼくは、1年後だったり半年後だったりにメールしていた。年賀状も来る年、来ない年、さまざまだった。会えるチャンスもありそうだったが会うことはなかった。

しかし、2014年に会うことになった。別に、この子のことだけを追いかけていたわけではない。その間に、大きな失恋、小さな失恋を何度か経験していた。経験値が上がった7年前とは違う自分がいた。

ぼくは、待ち合わせ場所である美術館に彼女より先に着いて、ベンチの前でぼーっと待っていた。10分くらいだろうか。エスカレーターで上がってくる女性を見つけた。エスカレーターから下りる瞬間の彼女の力強い一歩を見て、ぼくは確信した。

「この人と付き合いたい」

老けた印象はなく、ぼくの記憶の中の彼女のままだった。お互いいつの間にか30歳になって、彼女はずっと遠いところにいて、もう会えないと思っていた。ぼくの知らないところでぼくの知らない誰かと出会って、ぼくの知らない間に結婚して、穏やかで満ち足りた生活をしていると思っていた。

ところがそうではなかった。絵画鑑賞もほとんど頭に入ってこなかった。終わったあと、年月を埋めるかのように話した。彼女は独身だった。付き合ってる人も今はいないと言っていた。

早く結婚して子どもがほしいというありふれた女性の思いを話してくれた。そして、今はぼくと同じ県内に母と2人で暮らしているということ、以前好きだった職場は離れて新しい会社に就職したけれどなかなか慣れないこと、最近までストーカー被害に遭っていたこと、それにより好きだったインターネットもほとんどやらなくなってしまったこと、いろんなことを話してくれた。

ぼくは、同じ県内に移住してきたことに驚いた。前よりも、すぐに会える距離。小説やドラマだったら、長年の時を経て運命が2人を引き寄せた。となるのだろう。ぼくは、そう思ってしまった。付き合いたいから結婚したいという浅はかな考えに傾いていた。

最後にツーショット写真を撮ったが、ストーカーがどこで見ているか分からないからSNSには上げないでと何度も言われた。

あっけない終わりは、その年の暮れにやってくる。そのときに流行っていたプロジェクションマッピングが近くで行われるということで、彼女を誘ってみた。そうしたら来てくれた。クリスマスをモチーフにしたもので子ども連れの方が多かったように思う。少し斜め方向からだったが、一緒に観ることができた。

とても寒くて、彼女はかなりモコモコした服装をしていた。「最近、これ着てるの」とはにかんだ笑顔が脳裏に焼き付いた。

どうせ振られるのなら、ここで伝えた方が良かったのかもしれない。しかしぼくは、何も告げずに普通に別れた。

何日か経ったあと、自爆するかのように告白メールを送ってしまった。結果は、30分後にはお断りのメールが返ってきた。彼女に出会って12年。それから連絡は取っていない。

無駄ではないと思いたいが、これで良かったのかと今でも時折思う。