大久保さんと出会ったおかげで、これまで何とも感じなかったまちの中のあれこれがすごいバリアに思えてくるようになれた。
(中略)
私だけではなく、ひとりの障がい者と健常者との出会いは、お互いに気づきを与えてくれ、多様な視点でまちを見ることの必要性を感じさせてくれるのですね...。社会を変えてゆくのは法律やシステムだけではなく、ひとりひとりの意識の変革が重要なのではないでしょうか。ひとりの障がい者と健常者との出会いには - いま、風の中で・・・
自分が、障害を持つ人と出会って何か気づきを与えられることって、実はそんなに多くない。
自分と同じ身体障害を持つ人から、何かビックリマーク的なことを思わせられたことがあるかと言えば、もしかするとあったかもしれないが思い出せない。
無いと言ってもいいかもしれない。
冷たくて、嫌っているように思われるかもしれないが、
僕は、身体障害があることが普通なので、狭い道や段差があるところや凸凹道が通りづらいということは、当たり前なのである。
身体障害でも人それぞれなので一概には言えないが、多くのことが当たり前なので、
「あっ!そうか!」と気づきを与えられることは少ないのである。
しかし、ピアカウンセリング(障害当事者同士が話し合う)ということには、注目している。
気づきは無くても、様々な生活上のリアルな話し合いができると思うからだ。
何か面白いことができるんじゃないか。と淡い期待はしている。
一方で、気づきが与えられると言えば、自分と違った障害での方が多いのかもしれない。
とよいち関係では、自閉症を中心に知らなかったことを多く学んでいると思う。
また、視覚障害を持つ人と初めて会ったときも様々なことを思わさせられた。
そう思うと、気づきというのは自分に無いものを持っている人と出会って、初めて生まれるものなのかもしれない。